理事長挨拶(2008)

八坂 哲雄 (Tetsuo YASAKA)

UNISECが発足してから本年〔2008年〕2月14日で5年が経過した。
この間、独立行政法人宇宙航空研究開発機構をはじめ、各方面から支援をいただき、本来の目的である大学、工専における手作りによる実践的宇宙プロジェクトを順調に発展させることができた。
この中で、科学技術面の開発、ならびにわが国の宇宙開発にいささかなりとも寄与してきたと自負するが、何よりも次世代の宇宙開発のリーダーとなりうる人材を多数育ててきたことは、UNISECが誇りに感じるものである。

UNISECの前身であるUNISATを作ったとき、模範として目指す組織があった。
米国のUSRA(University Space Research Association)である。
USRAはNAS(National Academy of Sciences)と米国内大学との橋渡しをする機能をもつ非営利組織であり、国の宇宙資金をもとに米国各地の大学の広範囲なプロジェクトを支援している。
もともとはアポロ計画で月の石が持ち帰られたとき、大学の科学的知識をもってNASAを補完するために作った組織であると聞く。
1990年代後半には、わが国も宇宙開発ですばらしい成果を上げていたが、宇宙機関と大学間の補完関係は十分とはいえなかった。
大学において実践的な教育をする機会がないため、プロジェクトや実地の経験のない学生を、失敗が「絶対」許されないとされる宇宙開発の現場にいきなり送り出す状況は、大学として忸怩たるものがあった。
また、若い学生の宇宙に対する情熱にたいし、その膨大なエネルギーを宇宙の実地に導く具体的方策はなかった。
さらに、大学が持っている学術的専門能力を、宇宙開発の複雑な技術課題に役立てるルートもきわめて細い状況であった。
一方世界に目を向けると、英国のサレー大学が作った小型衛星をNASAが軌道に打ち上げたのを嚆矢として、欧米の諸大学、そしてアジアでも小型衛星のプロジェクトが実施されて大きな成果をあげていた。
日本の宇宙開発自体は大きな成果を挙げていたが、なぜか大学の活動だけが目立って孤立していたわけである。
各方面に協力を呼びかけた結果、宇宙開発事業団から日本航空宇宙学会への委託研究費を主な原資として、大学の小型衛星に向けた実践教育を支援することができるようになった。
これが2001年に開始したUNISAT活動であり、形としては一応USRAに似た体制ができたわけである。
その後、社会的責任を明確にし、資金源の拡大を可能にすることで、より拡大した形でコミュニティに貢献できるようにNPO法人の設立を行った。
その際、UNISATと同じように宇宙開発事業団の支援を受けていた大学におけるロケット開発との二頭立てとした。
新しいUNISECが始まったわけである。

初期段階のUNISEC活動では、大学の手作りプロジェクトを直接支援することが大きな割合を占めた。
この中で、小型衛星、ハイブリッドロケットの開発が進み、CubeSatや回収型ロケットの打ち上げにつながった。
また、ワークショップの開催、各種イベントの開催や参加支援を通して、各大学間の情報交流と研究協力、そして競争が進んだ。
今年度に関連したイベントとしては、第一章に述べたように7つを数えた。
しかし、ここ数年の経過では、国からの資金の減少、頭打ちのために、活動の中身を変化させざるを得なくなった。
すなわち、イベントやプロジェクトを直接支援することから、大学がそれぞれの活動計画のなかで必要とするサポートを立案し、個々の審査を通った計画に対してその実行に対する自己評価にもとづいて、支援資金の申請を行うシステムへと移行している。
分配可能な資金はあらかじめ公開しており、大学のプロジェクト全体に対して、ほんの部分的ではあるがUNISECの趣旨に合う部分だけを抽出して申請することとなる。
実際には窮余の策ではあるが、自ら計画を立て、それを実行し、かつ実行に対する自己評価を的確に行うという基本的な姿勢を確立する意味で、教育効果のある方法であると自負するものである。
本報告書の本体はそのような計画と実行の経過を示したものとなっている。
また、UNISEC独特の活動であり、今後の大きな発展を期待されているのが、学生プロジェクトである。
UNISECの学生組織、UNISONが立案し、UNISECが承認したプロジェクトを学生が実行する。
支援が可能な資金は極めて限られているが、活動の一番基礎の部分だけをまかない、学生諸君の自発的活動を促し継続させることができている。
本年度は5つのプロジェクトが進行した。

UNISEC加盟団体は40を越えた。
活動のレベルはさまざまであるが、唯一の共通点は、元気のいい学生が集まっている。
あるいは、元気のいい学生が育つというのであろうか。
ワークショップでは、例年新顔のメンバーが出てくる。
最初の年には、なんとなくおずおずしたところが見える場合もあるが、2年目からは見事に堂々としてくる。
自分の判断で計画を作り、自分の手で仕事をし、自分で自分の仕事を評価する・・・おそらく、この一連の体験で世の中を見る目が違ってきたはずである。

UNISEC設立前後には、本来国がやるべきことをわれわれが替わってやるんだという意識が強烈であった。
ちょうど宇宙機関の統合の時期ともかぶったこともあり、新宇宙機関は宇宙開発の事業そのものに留まらず、初等教育から中等、大学、そしておそらく一般の人までにたいし、宇宙への理解と参加を促すことにも責任を持つであろうと期待をした。
当時の情勢では、高等教育、つまり、高専、大学、大学院レベルに対するJAXA=NASDA+ISASの関与が低かった。
国の立場では、総合研究大学院大学や連携大学院などによって大学院レベルの教育研究も行っているということであろうが、全国の多くの工学系大学ではJAXAとの距離は相当遠く感じるのが現実であった。
その部分をUNISECが担当する・・・そのような意識であった。
しかし、JAXAとUNISECとの関係は、UNISECが思う方向には進まず、特に資金の流れは年毎に細るばかりであった。
この間、CanSat活動やCubeSatの成功などは国内外の宇宙コミュニティに高く評価され、JAXAや宇宙開発委員会にも相当のインパクトを与えてきた。
それでも大学における実践的プロジェクトを推進することは、国の仕事であるとの認識にはいたらなかった。
・・・そして5年後の現在、元気な学生たちが集まって自発的な研究開発プロジェクトに勤しんでいる。
また、ベンチャー企業へと立ち上がるところもあちこちに見えている。
もし、全面的に国に依存していたならば、今のような自由闊達な活動があったであろうか?
教員会員と事務局員のボランティアシップが支える組織であるからこのように縛られない成果が出てきているのであろうか?
UNISECの価値は現在だけではなく、今から5年、10年後にも求められる。
その価値を判断することは難しくない。
ワークショップのような全体イベントに参加すればおのずからはっきりするであろう。
学生たちの元気さと熱気が、今と同様に参加者を魅了し続けているかどうかである。