キューブ危機
語り手:津田 雄一 (つだ ゆういち)

● ロケットが決まらない

いろいろありましたが、なんとか衛星は完成しました。しかし、打上げてくれるロケットがなかなか決まりません。打ち上げに関しては、これまで何度も変更になり、延期になっていました。最初に延期になったときは、衛星製作のほうが間に合わないかもしれないという危惧があったので、どちらかというとホッとしたんですが、二回目三回目になると、だんだんあきれてきて、「狼少年」のような感じさえしてきていました。

僕らは、スタンフォード大学のトィッグス教授にすべてをおまかせして、キューブサットさえ作ればいいんだと思っていましたから、ただひたすらに衛星開発に血道をあげていました。でも、実際にできたのに、打上げがはっきりしないというのは、なんともフラストレーションがたまるものでした。

トィッグス先生のほうでは、アメリカのOSSSという会社で、キューブサットの打上げアレンジをしてくれるので、僕らもそれにいっしょに乗るようにといってくれていました。アメリカからロシアに「輸出」するのは、とても手続きが大変で、そういった事務手続きの代行業務もOSSSではすることになっていたようです。日本には、OSSSの代理店があるから、そこを通すようにと言われたので、アストロリサーチという会社と連絡をとり、打上げ費などは、その会社に払いました。

● ロシアへの電話

キューブサットは、ロシアのデュネパというロケットで打ち上げるという話でした。ところが、インターフェイスのことなど、問い合わせても埒があかず、気をもみながら毎日過ごしていました。技術的なことを打ち合わせるインターフェース先がCalPolyなのに、契約先がOSSSおよびその代理店のアストロリサーチ、というのがそもそもおかしかったところです。CalPolyとのインターフェース調整のために、OSSSとあれこれやるのはなかなか埒が明かず、本当に不毛なやりとりでした。その他の打ち上げ話の問題も、要は話だけが先行してしまったのが問題で、どこまで話が進めば「本当に打ち上げる」という勘所がアメリカ人とわれわれとではかなりのギャップがあった、ということです。ある程度ハッタリで物事を進めて、周りを巻き込んでいくという傾向が、アメリカ人には非常に強い、と感じました。

突然、事態が急展開しました。研究生だったミロンが、ロシアに直接電話してくれたんです。2002年の3月くらいのことだったと思います。彼は、バングラデシュの出身ですが、ロシアの大学を卒業しているので、向こうに人脈もあって、僕らがやきもきしているのを見て、知り合いがいるから電話してみようと言ってくれたんです。そしたら、信じられないことに、そんな契約自体、存在していないというんですよ。しかも、OSSSからは一銭ももらっていないというんです。僕らのキューブサットを打ち上げてもらうことになっていたロケットは確かに存在して、言われていた日にちどおりに打ちあがる予定があるけれど、でも、僕らの衛星がそれに搭載される予定はない、ということがわかったんです。

  証言:ミロン
私は、バングラデシュの出身ですが、キエフ国際航空大学を卒業しましたから、ロシアに友達がたくさんいます。もちろん、ロシア語もできます。ちなみに、私のロシア語は、日本語よりずっと流暢ですよ。 中須賀研究室に研究生として入ってきて、津田さんの下でいろいろ教わりながらプロジェクトを手伝っていたとき、打ち上げの日にちが決まらなくて困っているということを知りました。キューブサットの打ち上げには、コスモトラスという会社のデュネパというロケットを使うという話でした。私は知り合いがそこにいましたから、実際にロシアに電話して聞いてみたんです。もちろん、ロシア語でです。そしたら、キューブサットの打ち上げの予定はないし、OSSSというアメリカの会社からお金はもらっていないというんです。津田さんから聞いていたのでは、東大も東工大も、OSSSには、もうお金をそれぞれ3万ドルずつ支払っているということだったので、びっくりしました。

● 霧が晴れても

事態は、思ったよりもずっと悪いような気がしました。まずは、先生に伝えないといけないと思って、そうしました。先生も、最初信じられないといった顔でした。まずは、事実関係をきちんと把握しようということで、アストロリサーチに連絡しました。その後のドタバタは、筆舌に尽くしがたいものがあります。霧が晴れていくのは嬉しいことですが、晴れたあとに見える景色が美しいとは限らないですね。僕は、先生がこんなに怒ったのを見たのははじめてで、この人はこんなに怒ることができるんだと認識を新たにしました。

  証言:酒匂 信匡(さこう・のぶただ)
最初、アストロリサーチの対応にはちょっと苛立ちました。アメリカに飛んで、事実関係を調べてくれたりしたら、誠意が感じられて嬉しかったと思います。でも、代理店とはいっても、契約書にはアストロリサーチのアの字も入っていませんでしたから、法的に義務はなかったようでした。でも、法律関係がどうであれ、私たちにしたら、「代理店なんだから、なんとかしてくれ」と思うのが人情ですよね。その後はいろいろ動いてくれたし、最終的に打上げ手段となったロコットのスロットを紹介してくれたので、まあ、よかったかなと今は思います。

証言:アストロリサーチ担当者
「24機のキューブサットを打ち上げる」ということになっていて、24機も本当に集まるのかなと思いました。でも、(OSSS側が)絶対大丈夫というので、アメリカの大学プロジェクトというのはそういうものなのかと思ったりしました。今から思えば、24機集まらなかった場合どうするのか、たとえば12機しか集まらなかったら、どうするのか、というようなことを何も検討していなかったんです。極端なことを言えば、24かゼロか、になりかねないような話だったわけです。で、結局24機は集まらなかったし、アメリカの大学とOSSSの間にコストに関する見解の不一致があったり、アメリカの大学で設計を進めていた衛星射出機構ができなかったりで、打ち上げ計画は延期を繰り返した後白紙になっている、という状況でした。教育目的のプロジェクトでしたから、例え法的に弊社に責任が無くても、道義的に責任を感じていましたので、様々な弊社のルートを使って、また先生方や学生の皆さんに無理をお願いして、ロコットの打ち上げ機会をつかんでいただきました。OSSSとアメリカの大学間にある見解の不一致は未だ解消されていませんが、契約はまだ、「契約不履行」で完了しておりませんので、なんとか打ち上げ機会を提供できればと考えています。

● それでも打ち上げ

契約書のこともろくすっぽ知らない、素人同然の僕らが、衛星打上げの契約を結んで、泣き寝入り同然の憂き目にあったのは、当然といえば当然だったかもしれません。契約を結ぶときには、法律の専門家にも相談して、いろいろな可能性を考えないといけなかったのかもしれません。

とにかく、白紙に戻りました。打上げ手段はない、僕らの衛星のためのロケットはない。それだけは確かでした。ここから、打上げまでに、さらに長いときを待たないといけませんでした。でも、絶対に打ち上げるんだという気持ちは、ますます強くなっていたし、もうダメだと思うこともありませんでした。