恐怖の熱真空試験第二回  2001年6月4−11日
語り手:金色 一賢(かないろ・かずたか)

● 二回目の挑戦

二回目の熱真空試験は、6月4日からでした。サイIII(エンジニアリングモデル)がほぼ完成したのが6月3日なので、本当にぎりぎりでした。本当のことを言うと、4日になっても、不具合があって、その場で必死で直していました。確か、通信系の一部が動かなかったんだと思います。

 

一回目の実験のときは、解析するために、温度をいろいろ変えてみたんですが、それではほしいデータが取れないということがわかり、二回目のときは、実験も進化しました。今度は同じ熱を与え続けるという方法をとったんです。それで、どのように熱が流れるかを計って、推測する、ということをしました。大西先生から、方程式の作り方に関する本を貸していただいて、猛勉強しました。でも、一パターンをとるのに9時間もかかるので、9パターンしかとれませんでした。ふつうは、40パターン以上とるそうです。

 

熱真空試験は、いってみれば、シミュレーターを作るための実験で、たとえば、○月○日に、軌道上のどこを飛んでいれば、電池は何℃になるかとか、CPUは何℃になるか、というのを計算できるようにするんです。でも、シミュレーション用のデータをとるための実験だという認識を持っていたのは、環境系の数人だけだったと思います。環境系で情報が閉じてしまっていたのも悪かったんですが、あのときは、「EMを期日までに作る」ことでみんな精一杯で、とても、熱真空試験のことを理解してくださいなどと言える雰囲気ではありませんでした。でも、本当は、この試験には、すべての系の理解と協力が必要だったと思います。試験中にサブシステムの部品がこわれたとき、どうすればよいのか、わからないですから。・・・コミュニケーションは難しいですね。

● キューブサットがNHKに!

実験中に、NHKの取材があって、プロマネだった津田さんと先生が、本郷の研究室でインタビューを受けることになりました。僕は、こっちの実験でそれどころではなかったですが、津田さんは、プロマネとしての苦労や打ち上げ延期の腹立ちなど、おくびにも見せず、堂々と話されておられました。津田さんは、プロマネとして、いろいろまわりに気を配りながら、涼しい顔で、自分の分の仕事も着々と進めていて、すごい人だなあと、よく思いました。

● 実験の難しさ

この実験には、いくつか難しい点がありました。
ふつうは、専属の人がいて、試験のインテグレーションをするんです。つまり、温度計をどこにつけるか、というようなことを総合的に判断して行うんです。そして、そういう技術を身につけるには時間がかかるもので、推測して解析できるようになるには10年はかかるそうです。そういう人は僕らの実験にはいなかったし、それに、衛星に比べて温度計が大きすぎたせいで、30℃くらいの誤差は簡単に出てしまうみたいで、どうも信頼性に欠ける結果になってしまいました。温度と熱入力から、モデルはどうなっていたかを推定するんですが、矛盾するデータが出てきて困ったのを覚えています。

そのうえ、一回目に切れたので、それなりに工夫したつもりのニクロム線が、また切れてしまって、それ以降のデータがとれなくなりました。幸い、解析できる程度のデータはとれていたのでよかったんですが、気をつけていたつもりだったので、ショックでした。

無料で貸していただいて、文句を言うわけにはいきませんが、真空チャンバーも壊れたりして、困りました。液体窒素タンクとチャンバーの間の管が破裂したときはまいりました。

証言:酒匂 信匡(さこう・のぶただ)
二時間おきに液体窒素を補給して、10分ごとにデータをとることにしていたんですが、私が部屋に入っていくと、白いものが異常に出てるんですよ。ええ、あの白いドライアイスの煙みたいなものです。作業しているところからは見えにくかったのか、誰も気づいていなかったみたいでした。真空槽の温度があがっていて、どうしてだろうとは言ってたみたいなんですが。液体窒素のタンクから真空槽まで、チューブでつながっているんですが、そこが破裂したみたいで、真空槽へいくべき窒素が、どんどん部屋にもれていたということです。部屋は、酸欠にならないようにいつもあけてあるので大丈夫だったですが、あれにはびっくりしました。急いで、タンクをとめました。

● 解なしの解析

津田さんに、「解がないなんて、ありえない」と言われていたんですが、最後まで解を出すことができませんでした。データマイニングは、片手間にできるようなものではなくて、集中して時間をとらないと無理だったと思うんですが、僕自身、あまりモチベーションがあがらなかったんです。先が見えないし、このことに集中もできなかった。二回目の熱真空試験が終わってすぐに他の試験も始まったし、FMの設計製作も始まりましたから、FMのほうが急ぎで、EMの解析はいつでもできる、というふうに考えてしまったかもしれません。僕に欠けていたのは、集中力だったと思います。解析に頭を切り替えて没頭するには、まとまった時間が必要だと考えてしまうんですね。それと、僕はプログラムがあまり得手でなかったので、勉強するのにハードルがありました。

経験のある人に聞けなかったのも痛かったです。でも、キューブサットのプロジェクトでは、経験がなく、できないことだらけだったんです。それを、みんな何とかできるようにしてきたので、「できない」とは言いにくかったですね。

今にして思うと、前提が間違っていたのかもしれません。衛星を29箇所に分けて考えるということをやったんですが、本当はそうではなかったのかもしれないんです。今もよくわかりませんが、解析しても解なし、というのは津田さんたちには信じられないことだったみたいで、ミーティングなどでは肩身の狭い思いをしました。

● 今、思うこと

準備ができていないプロジェクトは苦しいですね。人の管理も大変だったですが、予想していないアクシデントには悩まされました。一つ切り抜けたら、また別のアクシデントが起こって、気が休まる暇がなかったです。でも、本当にたくさんのことを学びました。特に、何かをやり遂げるとき、締め切りまでやってできなかったら、「できない」というべきだった、ということを、僕は学んだと思います。

もし、もう一度やるとしたら、何のために実験をするのかを押さえて、実験計画をしっかり練って、やりたいですね。そしたら、「三度目の正直」で、きっと解が出ると思います。