恐怖の熱真空試験第二回 2001年6月4−11日
|
証言:酒匂 信匡(さこう・のぶただ) 二時間おきに液体窒素を補給して、10分ごとにデータをとることにしていたんですが、私が部屋に入っていくと、白いものが異常に出てるんですよ。ええ、あの白いドライアイスの煙みたいなものです。作業しているところからは見えにくかったのか、誰も気づいていなかったみたいでした。真空槽の温度があがっていて、どうしてだろうとは言ってたみたいなんですが。液体窒素のタンクから真空槽まで、チューブでつながっているんですが、そこが破裂したみたいで、真空槽へいくべき窒素が、どんどん部屋にもれていたということです。部屋は、酸欠にならないようにいつもあけてあるので大丈夫だったですが、あれにはびっくりしました。急いで、タンクをとめました。 |
● 解なしの解析
津田さんに、「解がないなんて、ありえない」と言われていたんですが、最後まで解を出すことができませんでした。データマイニングは、片手間にできるようなものではなくて、集中して時間をとらないと無理だったと思うんですが、僕自身、あまりモチベーションがあがらなかったんです。先が見えないし、このことに集中もできなかった。二回目の熱真空試験が終わってすぐに他の試験も始まったし、FMの設計製作も始まりましたから、FMのほうが急ぎで、EMの解析はいつでもできる、というふうに考えてしまったかもしれません。僕に欠けていたのは、集中力だったと思います。解析に頭を切り替えて没頭するには、まとまった時間が必要だと考えてしまうんですね。それと、僕はプログラムがあまり得手でなかったので、勉強するのにハードルがありました。
経験のある人に聞けなかったのも痛かったです。でも、キューブサットのプロジェクトでは、経験がなく、できないことだらけだったんです。それを、みんな何とかできるようにしてきたので、「できない」とは言いにくかったですね。
今にして思うと、前提が間違っていたのかもしれません。衛星を29箇所に分けて考えるということをやったんですが、本当はそうではなかったのかもしれないんです。今もよくわかりませんが、解析しても解なし、というのは津田さんたちには信じられないことだったみたいで、ミーティングなどでは肩身の狭い思いをしました。
● 今、思うこと
準備ができていないプロジェクトは苦しいですね。人の管理も大変だったですが、予想していないアクシデントには悩まされました。一つ切り抜けたら、また別のアクシデントが起こって、気が休まる暇がなかったです。でも、本当にたくさんのことを学びました。特に、何かをやり遂げるとき、締め切りまでやってできなかったら、「できない」というべきだった、ということを、僕は学んだと思います。
もし、もう一度やるとしたら、何のために実験をするのかを押さえて、実験計画をしっかり練って、やりたいですね。そしたら、「三度目の正直」で、きっと解が出ると思います。