通信の救世主
|
<証言:加藤義清> 当初、衛星に搭載する通信機には市販の無線機を流用することを考えていたのですが、希望するようなサイズ、帯域、出力のものがなかなか見つかりませんでした。そんな時に、「自作ぷら〜ざ」という無線機自作の掲示板(http://jg1ead.web.infoseek.co.jp/cgi-bin/bbs.cgi)をみつけたので、そこで相談してみたところ、西無線さんを紹介していただきました。 ※今でも過去ログに当時の書込みが残っています。 http://jg1ead.web.infoseek.co.jp/oldlog/geobook20010318.html 打診したのは2001年2月の下旬ですが、4月には気球実験が控えていたので4月までにものが出来ていなければならなかったのですが、2ヶ月という短期間で開発していただきました。しかも、実験で通信が出来なければ開発費はいらないとまで仰っていただきました。価格的な面でも非常に魅力的なオファーをしてくださったので開発・製作をお願いすることにした次第です。 私は諸般の事情により2001年3月でCubeSatの開発から離れたので、西無線さんとはわずか2ヶ月のつきあいで、実は西さんとお会いしたこともないのですが、短い期間でメールで非常に密に連絡を取り合って仕様の詳細をつめていきました。こちらが素人でとんちんかんなことを言っている時もあったかと思うのですが、非常に丁寧に応対してくださいました。 |
● 感謝
無線機の知識など皆無で、あまりにも大雑把なスペックしか提示できない我々に対して、時には厳しく、しかし真剣にいろいろと教えて下さいました。本気で怒られたこともあります。また、時には三宮の事務所から東京の研究室まで足を運んだりして下さりました。交通費は自腹だったんじゃないかと思います。
5月に気球実験をして、西無線の通信機は東京まで電波を飛ばすことができたので、Ks-960Lと西無線の無線機との間に多少の性能の差はありましたが、西無線の無線機を使用することが本決まりとなりました。
その後、無線機の水晶発振子の半田付けが取れてしまう不具合が発生するなどの問題はあったものの、西無線との出会いがなければ、あの美しい地球の写真をダウンリンクすることも、クリアな音を聞かせてくれるモースル信号を聞くことも、地上局からのコマンドをアップリンクすることもできなかったと思います。個人的には、Cubesat成功の影の立役者の筆頭は西さんだと思っています。無線のことは西さんにまかせておけば安心という感じでした。西さんは東大中須賀研CUBESATプロジェクトのプロジェクトメンバーの一員であるといっても過言ではないと思います。