一人勝ちBBM
語り手:イトコン(伊藤 孝浩 いとう・たかひろ)

中須賀研究室では、修士一年がUSSSに行くという慣行ができたみたいで、有川、宮村と僕の三人が2001年11月にハワイへ行きました。東工大の松永研は、「行きたい人はみんな行く。予算は全部頭割り」ということで、参加者の学年はばらばらだったみたいですが、ウチの研究室では、三年目のUSSSには、僕ら三人が参加しました。出発の朝まで、ヤマゲンさんとか、ずっと調整してました。すごい勢いでBBMを作りましたからね、気合が入っていました。その年のカンサットは、キューブサットに時間をとられたせいか、今ひとつの出来で、僕としては、自分が一生懸命作ったプログラムなどが全く試せず、不本意だったので、キューブサットのBBMはがんばろうと思っていました。東工大はどんなのを作ってくるんだろうって、戦々恐々としながら、やっていました。

証言:有川 善久 (ありかわ・よしひさ)
ヤマゲンさんは、USSS会議に持っていくためのBBMを必死で作っていました。出発の前夜は泊り込んで、朝もずっとやっておられました。僕らは、それを持ってハワイへ出発しました。ヤマゲンさんは、それが終わってから、つまり11月の半ばくらいから、修士論文にとりかかったという噂でしたが、よくぞ書けたと思います。すごいと思いました。ご本人は、「こういうことはやるもんじゃない」とおっしゃっておられましたが。

ところが、蓋を開けてびっくりしました。だって、ウチだけだったんですよ、BBMを持っていったのは。東工大は、絶対にすごいメカ仕掛けのを作ってくるだろうと思っていたから、拍子抜けというか、なんというか。東工大には負けたくないという気持ちは全員にありましたから、彼らに負けないものを作ろうといって、みんながんばっていたんです。そういうわけで、BBMでは不戦勝でした。アメリカの大学ですか?一校も作ってきていなかったですね。東大生は基本的にまじめなんですよ。宿題が出たら、必ずやる、みたいなところがありますね。


ハワイでの発表

でも、おかげさまで、ライバルがひとつもなくて、ハワイの会議で、僕らの作ったサイは一人舞台で、一人勝ちで、大人気でした。 「よく作ったなあ」というのと「よく入ったなあ」という賛辞を頂き、嬉しかったですね。宮村、有川、僕の三人で発表したんですが、最高の気分でした。太陽電池を六面のうち一面にだけはって、照明をそこにあてると、メーターが動くような仕組みを作ってあったので、デモンストレーションもうまくいきました。「おおっ」という歓声があがるのって気分いいですねえ。このあたりのプログラムは、宮村が全部作ってました。


CubeのBBM(breadboard model)

 ネバダで打ち上げたカンサットの実験では、僕が苦労して作ったものは、あまりうまくいかなくて、ものすごく悔しい想いをしていましたが、ハワイでは、いい思いをさせてもらいました。これから、EM(エンジニアリングモデル)を作ってFM(フライトモデル)を作るという階段を上るためのエネルギー源のひとつになりました。