リーダーはつらいよ
語り手:有川 善久(ありかわ・よしひさ)

僕は、実を言うと、キューブサットは、つらい思い出がいっぱいです。電子系のリーダーだったんです。BBMのプログラムは、宮村が作っていたんですが、キューブサットのEMになるとき、設計が大幅に変わったので、ほとんど一から作り直しました。津田さんが電子系のリーダーだったんですけど、プロマネだったヤマゲンさんが修士論文を書く時期になって、津田さんがプロマネになったので、電子系のリーダーを誰かがやらないといけなかったんです。BBMのプログラムをやっていた宮村は構造系のリーダーになって、人がいなかったので、僕がやることになりました。そのとき、PICというCPUのプログラムでさえ作ったことがなかったのに、リーダーになったんですよ。

OBCは、やってみたいという気持ちはあったんですが、手をあげる自信はなかったんです。だから、ちょうどよかったといえばそうなんですが、実際やってみると、本当に大変でした。だって、自分はできないのに、人に指示を出していたんですから。質問ができるというのは、実はすごいことなんです。わからないときっていうのは、何がわからないかもわからないんですよ。津田さんに聞けば何でも教えてくださるんですが、それは「これがわからない」と特定できて初めて聞けるわけですからね。毎週会議があるんですけど、その会議資料を作るのがものすごく大変でした。

プログラムですか?宮村のを引き継ぎつつ、作りました。ちょうど、ヤマゲンさんの修士論文のテーマを引きついでいたころだったので、ヤマゲンさんのプログラムを全部引き継いだのは、けっこう大きかったですね。ものすごく助かりました。11月のハワイでのUSSS会議から帰国して、電子系に没頭しました。ヤマゲンさんを手伝いながら、そのプログラムも流用できました。初心者がリーダーだったから、みんな大変だったと思いますけど、そうですね、全体的に考えると、つらい経験とはいえ、僕はなかなかラッキーでした。

それから、一人二つの系に入ることになっていて、僕は、電子系と、もうひとつ、電源系に入っていたんですが、電源系のほうでもなかなかつらい思い出があります。BBMを作る前に、充電回路を作ることになっていて、僕が担当だったんですが、うまくいかないんですよね、これが。毎週ミーティングで報告するんですが、毎週「できません」と報告しないといけないんですよ。酒匂さんがリーダーだったから、けっこう厳しくて、毎週気が重かったですね。いえ、別に怒鳴られたりするわけではないんですけど、メガネごしにちろりと見られている気がして、こわかったです。

どうしてできなかったかですか?うーん、やっぱり勉強不足だったんでしょうね。大学の授業では習わないですし。FETの使い方を間違えていたみたいなんですよ。カンサットの打上げでアメリカへ行っていて、キューブサットのほうを一時中断したことがあったんですが、帰ってきてやったら、なぜかうまくいったんです。たまたまですよ。足が3つついていて、6通りの組み合わせがあったんですけど、トライアンドエラーでやっているうちに、たまたまうまくいくのにあたったんです。それで、BBMを作りました。

証言:津田 雄一(つだ・ゆういち)
電子系は、人気がありました。メインのOBCのプログラミングは特にみんなが書きたがるんですよ。BBMのプログラムは宮村が書いたんですが、そのあと、EMとFMは、有川が電子系のリーダーとしてがんばりました。有川は、電子系の経験がなくて、相当苦戦していましたが、なんとかやりぬきました。電子系っていうのは、関数を呼び出して、ドライバを組み合わせて、全体のシーケンスになるわけなんですが、ものすごく想像力が必要なんです。「こういうことが起こったら」ということをいかにたくさんイメージできるかが勝負といってもよくて、「そんなこと、めったにおきませんよ」と言って放置できる性格だと厳しいですね。想像力の豊かさと、厳密さの両方が要求されます。 系によって必要な能力は違うと思います。たとえば、電源系だと、化学の知識が必要ですし、調査能力がないと難しいですね。通信は、アナログの世界なので、測定とかきっちりしていないとダメですし。電子系は、やることがみえているので、見通しが立ちやすいという点で、他の系とは違っていたと思います。全体を統括する醍醐味もありました。

証言:宮村 典秀(みやむら・のりひで)
たくさんある作業の中でも、基板を焼くのはつらかったですね。今は、いい機械が入って、「基板削り」になっているそうですが、僕らは、手でエッチングしてましたから。OHPにコピーするんですけど、できあがったらずれていたりして。もちろん、やり直しですよ。それから、あの廃液処理もいやでした。水に流してはいけないそうで、固めるテンプルみたいなので固めて捨てるんですけど、あんまり嬉しい作業ではなかったですね。