HomeUNISEC理事長挨拶理事長挨拶(2012)

永田 晴紀 (Harunori NAGATA)北海道大学教授

Prof. Nagata

このたび、第二代理事長の中須賀先生からUNISEC理事長を引き継ぎました。
初代の八坂先生から数えて三代目の理事長ということになります。
UNISECは2002年4月に誕生し、2003年2月にNPO法人化されました。
2012年4月で誕生から10年、2013年2月でNPO法人化10周年ということになります。
記念すべき年に理事長の重責を担うのは、身が引き締まるを越えて身が竦む思いですが、次の10年への飛躍に繋げるべく微力を尽くしたいと思いますので、皆様のご支援を宜しくお願い致します。

2002年度末に発行されたUNISEC年次報告書には、ロケットグループ7団体、衛星グループ8団体が活動報告書を掲載しています。
この15団体でUNISECはスタートしました。
2011年度活動報告書には、両グループを合わせて55団体が並びます。
UNISECの前身となった、大学衛星コンソーシアム(UNISAT)とハイブリッドロケット研究会のうち、UNISAT発足の経緯については初代理事長の八坂先生による5周年記念挨拶に詳しいので、ここでもう一方のハイブリッドロケット研究会の経緯について紹介し、合わせて、UNISECのルーツを探りたいと思います。

ハイブリッドロケット研究会は1998年7月に結成されました。
参加団体が大学だけではなく、産業界も含まれていたという点がUNISATと大きく異なります。
大学からは北海道大学、北海道工業大学、室蘭工業大学、都立科学技術大学、および東海大学の5大学。
産業界からはIHI、日産自動車、および東芝の3社に参加頂いていました。
次世代実験用小型ロケットシステムの机上検討を行うことを目的とした研究会で、100 kgの実験装置を高度200 kmまで運ぶ打上げ機をターゲットとしていました。
UNISATがそのスタート時から研究室毎に独自の衛星を開発する志向が強かったのに対して、ハイブリッドロケット研究会では研究会全体で一つのシステムに纏め上げることを目指していたのに加えて、当初は実機を作って飛ばしてみるという発想は有りませんでした。

UNISAT同様、ハイブリッドロケット研究会も、宇宙開発事業団(NASDA)の支援を受けて、日本航空宇宙学会内の研究会として組織されていました。
当初は、2002年度までの5箇年を目途に検討結果を纏める、という予定だったのですが、1999年11月、H2ロケット8号機の打上げ失敗で雲行きが変わります。
NASDAの研究予算のほぼ全てがH2ロケットの信頼性向上研究に集約され、基礎研究分野に流れていた予算が途絶え始めました。
幸いなことに2000年度までは継続でき、どのような成果をもってこのプロジェクトを閉じるか、という話題の中で小型ロケットの打上げ実証というアイデアが出ました。
都立科学技術大学(当時)の湯浅先生からの提案でした。そんなことやっていいの?というレベルから検討が始まったと記憶しています。
多くの大学で小型ロケットの打上げ実験が行われている現在の状況からは隔世の感があります。
ガス酸素とアクリルを推進剤として、湯浅研究室により2001年3月に北海道大樹町で打上げられた機体が、我が国で初めて打上げられたハイブリッドロケットとなりました。

ハイブリッドロケット研究会構成メンバーのうちの大学側がUNISATと合流し、大学宇宙工学コンソーシアムが誕生したのは2002年のことですが、その年の3月、北海道大学によるCAMUI型ハイブリッドロケットの最初の打上げ実験が、同じく大樹町で行われています。
この機体のペイロード部には東京大学中須賀研究室によるCanSatが搭載されていました。
UNISEC誕生前ではありますが、衛星側とロケット側の共働事例第一号です。
パラシュートの解傘に失敗した機体は着地の衝撃で全壊しますが、中須賀研究室の超絶的な手技により、半壊したメモリからフライトデータを吸い出すことに奇跡的に成功しました。

衛星屋さんとロケット屋さんは文化が違うとよく言われますが、UNISECの設立に当っては両者が共有している文化が大切でした。
両者とも、実機というシステムに纏め上げて動作させることを重要視していました。
UNISECは設立当初から、人材育成、技術開発、およびアウトリーチの3つをミッションに掲げてきましたが、その手段として、実機に纏め上げて動作させることを重要視してきました。
これらはUNISECの設立に当って初めて掲げられた文化ではなく、UNISATおよびハイブリッドロケット研究会のそれぞれにおいて、経験から獲得され、根差し、UNISECに持ち込まれた文化でした。
実機に纏め上げてこそ本物の技術開発。本物の技術開発に携わってこそ人材は育つ。
実機を開発して動かして見せるのが最高のアウトリーチ、というわけです。

UNISECの背骨とも言うべきこの文化は、UNISECが人材と技術開発成果を生み出すための原動力になっていると思います。
これらは、教育と産業への貢献です。
一方で、学術への貢献についてはこれからの課題です。
実機に纏め上げて動作させることを重要視する、というUNISECの文化から生み出される成果を、学術的・普遍的価値のレベルまで昇華させるのは容易なことではありませんが、実現できれば工学への多大な貢献が期待できます。
2011年度に創刊されたSpace Takumi Journalが目指す目標は遠いですが、全国の大学研究者(勿論、その主力は学生諸君です)からUNISECに集約されるエネルギーをもって当れば、到達可能な場所であると信じています。

教育、産業、更には学術分野において、UNISECの文化が未来を切り拓く力は、国際的にも普遍的な価値を持っています。
既にUNISEC国際委員会が設置され、精力的に活動を開始しています。
新たな10年が拓く未来に向けて、UNISECが益々発展していくことを祈念するとともに、その一助になるべく職責を果たしていきたいと思います。