「ピギャー」が聞こえた日 
語り手:宮下直己(みやした・なおき)

● 自分は、電源系と地上局の両方を担当しました。何を担当しても責任を感じるとは思うんですが、電源系のストレスとプレッシャーはすごかったです。電源がうまくいかなかったら、すべての機器が動きませんから、もう気が気じゃありませんでした。ロシアで衛星搭載作業をして帰国してから打ち上げまでの一週間の間に、寝たのは数時間くらいです。帰国してから、地上局用のソフトを完成させるという仕事もあったせいもありますが、疲れたとか眠いとかいってられないくらい心配で、ほとんど眠れなかったんです。

3年間のみんなの苦労が、自分の設計が悪くてダメになったらどうしようと、ずっと不安でした。もともと、あの設計で、そんなに持つわけがないと思っていたんです。最初に食に入って太陽電池が電気を作れなかったら、5分くらいしか持たないだろうと思っていました。でも、幸い、軌道がよかったので、助かりました。ずっと太陽が当たり続けるような軌道だったんです。日陰だったら、わからないですね。熱真空試験でも、温度が下がると、電源がダメになりましたから。

そんななかで、打ち上げの日がやってきました。当日、CWが聞こえて、大感激したことはしたんですが、あまりみんなが、というか、特に、日頃クールでシニカルな松永さんが、人間はあんなに喜べるのかってくらい喜びをあらわにしたんで、ちょっとあっけにとられて、喜びの中に驚き要素がずいぶん入ってしまったみたいでした。

一日か二日たってから、FMのパケットが受信できたとき、つまり、ピギャーという音が聞けたときには、自分も興奮しました。最高でした。体中の細胞という細胞から、涙が出たって感じでした。電源系がうまくいったという喜びもありましたが、そのとき、浮かんできたのは、通信系でものすごくがんばっていた岡田の顔でした。岡田は、もう卒業していたんですが、苦労を共にした仲間です。自分も、夜といわず昼といわず、土曜も日曜も研究室に詰めて仕事していましたが、岡田は、たぶん、自分よりも長い時間を研究室で過ごしたんじゃないかと思います。無線機ボックスのノイズやらで、通信系がとても大変だったんですが、岡田がすごくがんばって、何とか乗り切りました。

こういう感動を味わえる学生って、日本にどれくらいいるんでしょうね。自分は、あの感動を体験できたということに、純粋に感謝しています。正直なところ、こういう感情は、普通の大学生活では体験できないことだと思いました。どんな分野であれ、この感情を大学で感じることができれば、この国はすばらしい国になるんじゃないかと思ったりします。それくらい、強烈な感動でした。